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  2009年5月8日〜6月8日 
ギリシャ フランス スイス オーストリア チェコ ハンガリー
海外紀行
アテネ マルセイユ ローザンヌ グリンデルワルト ツェルマット クール シュクオール ザルツブルク ハルシュタット ウィーン プラハ ブダペスト
ギリシャ フランス スイス オーストリア チェコ ハンガリー
日程表
オーストリア | ウィーン(Vienna)
2009.5.30(土)
ハルシュタット
ウィーン
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早朝 部屋の外は遠くに幻想的なハルシュタット村
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9 ハルシュタット
10 ウィーン
11 プラハ
12 ブダペスト
日程表







オーバートラウン駅の軌道

5月30日ウィーンへ出発の朝。
オーバートラウンホテルから見るハルシュタット村は幻想的。朝食後宿泊代を精算して小雨の中駅にむかう。小さな駅の待合室で地元のご婦人二人と一緒に電車を待つ。
時間近くになったのでホームにでる、もう6月だというのに寒くて冬のようだ。乗客は先ほどのご婦人を入れて数人で閑散としたホームにやっとローカル電車が入ってくる。10:29発の電車はがらがらだが暖かくありがたい、まもなく検札があり、晴れと違った風情の雨で緑あざやかな村々を走って11:47Amstetten駅着。ここでザルツブルク方面から来る列車に10分の待ち合わせ時間で乗換。遅れたら次を覚悟していたがスイスと同じでオーストリア国鉄はわり合い時間が正確。この路線は大動脈をいうだけにほぼ満席だった。


Amstetten駅で乗り換え

14:18ウィーン西駅に到着。
朝の雨もすっかり上がって急速に天気は回復して青空が見え始めていた。


ウィーン西駅

降車したホームから右に折れ、西駅構内を左から外に出るとすぐ地下鉄乗り場だった。地下鉄U3線に乗り10分程でシュテファンスプラッツ駅到着、オーストリアの駅は何処もリフトやエスカレーターが完備していて大きな荷物も苦にならない。シュテファン寺院近くの出口が見つかるが何故か封鎖されていて物々しい警備で進入禁止になっている、すぐ左にリフトがあり列を作っているので並んで乗り地上に出る。地上ではやはり地下鉄連絡階段が封鎖されていてすごい人だかり、事情は全くわからないが何か事件があった模様。


西駅〜地下鉄チケット

ホテルはシュテファン寺院前なのですぐ見つかりチェックイン。
予約の確認をしていると、ボーイさんが奥からザルツブルクのホテルで送ってもらった大トランクを運び出してきてくれる。無事着いていた。204号室(日本の3階)に入ると窓一面に黒くすすけて時代を刻んだ壁のシュテファン寺院が目に入ってくる。見上げると寺院の尖塔が青空にそびえて感動的な景色だった。


部屋の窓から目の前にシュテファン寺院の尖塔

窓の下の寺院前広場ではさっき封鎖された地下鉄入口で警察官を囲む人垣のざわめきが聞こえる、その直ぐ近くのシュテファン寺院入口は何事もなかったように参詣客が入口に吸い込まれて行く。初めて見るシュテファン寺院は壮観で何度も見上げては又広場に目を移し繰り返し眺めていた。ミラノのドゥーモを始めて見た時と良く似た感覚だ。



部屋で一休みして街に出る。まずホテル前のシュテファン寺院に入る。


シュテファン寺院前の広場から、グラーベン通り〜コールマルクト通り〜王宮へ、明朝ミサに出席する予定の王宮礼拝堂を確認した後、かのザッハートルテで名高いコールマルクトのカフェ・デーメルへ向かう。



グラーベン通り

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コールマルクト通り



ケルントナー通り

シュテファン寺院(独Stephansdom)
オーストリアの首都ウィーンにあるゴシック様式の大聖堂。ウィーンのシンボルで、この聖堂を含むリング(Ring)と呼ばれるウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録された。ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても知られている。オーストリア公ルドルフ4世の命によって建造されたこの聖堂は、1359年に65年がかりで南塔が完成。107メートルの高さを持ち、教会の塔としてはウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さがある。


『ザッハートルテ』のデメル




『ザッハートルテ』

皇妃エリザベートも好んで食した『ザッハートルテ』の人気店らしく観光客で店内はラッシュアワーの電車の中のようで立錐の余地もない状態、少しあきれながらやっと空席をみつけ定番の『ザッハートルテ』を賞味する。甘さばかりでそれほど美味しいとは思えない。

ペーター教会ミサ

5時くらい帰りの道すがらペーター教会に入ると正にミサが始まる時で中ほどの席に掛けさせていただき神妙に牧師さんの説教や賛美歌などに耳を傾ける。小一時間位したところで参列者の方々が次々に前に進み出て牧師さんの前でひざまずきコイン大のウェナウスのような物を口に入れてもらっている。掛けていた席の周りが方々も順番で前に進み出ていくので本位ではなかったが一緒に祭壇の前に行き跪き同じようにウェハースのようなものを口に入れてもらい席に戻る。意味は良くわからないが厳粛な気持ちなひととき。


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ホテル・アムステファンプラッツ(204号室)目の前にシュテファン寺院


2009.5.31.(日)
ウィーン2日目
王宮ミサ
ウィーン市内観光

王宮



ミサ入場券

2009.5.31 晴れ ウィーン2日目
今朝は王宮礼拝堂ミサに行く為AM6:00早起き、シュテファン寺院を前に見ながらホテルレストランで朝食、すでに寺院入口に沢山の参拝客がすいこまれて行く。


王宮礼拝堂スイス門

1498年マクシミリアン皇帝の勅命により編成された少年合唱隊はそれ以来現在まで続いていてシューベルトも団員に籍を置きモーツァルトは主席作曲家としてかかわっていたりしている由緒ある合唱団が毎週日曜日賛美歌を歌うというミサに是非出席したいと予約しておいた。




予約の際指定された時間8:30に王宮のスイス門から礼拝堂入口に行くと当日券を求めて長い列が出来ている、数人たむろしている係員に予約のプリントを見せると2階のチケット売場へ案内され入場券と交換してもらう。礼拝堂にはいると重々しい雰囲気で脇には多数展示物があり、中にいた制服の係員が席まで案内してくれる。





案内された席は一階の真ん中通路の後ろの席だった。前列席(29EUR)は予約できなかったが2番目(26EUR)の席で着席して周りを見回しながらいいるとぞくぞくと席も埋まって9:15ミサの開始時刻には満席になり、更に2番目席の間の通路(立ち見)にも参列者が立錐の余地もなく入ってくる。厳かにいろいろな儀式を入れてミサはすすんでいき、下からは全く見えないが3階奥から天使の歌声と形容されるウィーン少年合唱団の賛美歌が聞こえる。



1時間半ほどでミサは終わりに近づくと3階で歌っていたウィーン少年合唱団も祭壇前に降りてきて整列して最後に賛美歌を一曲歌いミサは終わった。最後だけはカメラのフラッシュの嵐でみんなミサそのものよりウィーン合唱団が目当てなんだと思った。中庭にでるとミサで歌い終わったウィーン少年合唱団の子供達が次々に出てきて来場者と記念撮影に応じているのMarは尻込みしていたが少年と並ばせて一枚記念写真を撮る。


少年団員と記念撮影


ウィーン国立歌劇場



美術史美術館


マリアテレジ像


新王宮




国会議事堂

フォルクス公園で出会った 今、日本語勉強中という老人
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そこから新王宮を抜けブルク公園モーツァルト像を見てリンクに出て右回りに、美術史美術館・マリアテレジア像・自然史博物館・・国会議事堂前からフォルクス庭園に入り休憩中隣のベンチの老人が日本語で『仕事で何度も日本に行きました』と話しかけてくる。その手には日本語辞書。『今も日本語勉強しています』と笑顔で説明する。公園を出てウィーン市庁舎・ブルク劇場を見ながらウィーン大学前を右に折れリンク内に入りアム・ホーフ教会からシュテファン広場に戻って来る。
長い散歩で少し疲れホテルに戻り 3:00〜5:00 昼寝。


今夜の夕食は、楽しみなレストラン・グリーンヒェンバイスルへ行く。インターネットで19:00からマークツェインルーム(Mark Twain Roomサインの間)を予約しておいた。ホテルから歩いて10分位のお店はウィーン最古のレストランで創業は なんと西暦1500年頃という古さ。入口受付で名前を名乗る。予約台帳の中に氏名が記載されていた。中年の貫禄あるウェイターに案内されて目的の部屋に通された。


グリーン・ヒェン・バイスル

店の奥まったMark Twain Roomは天井から壁一面に著名人のサインで埋め尽くされていて、その中にはベートーベン、モーツァルトなど著名人のサインが残されている。日本人では児玉清

Mark Twain Room


注文メモ
Beethoven & Wolfgang Amadeus Mozart

料理はウィーン名物のウィーナーシュニッツェルとターフェルシュピッツのコースをお願いする。それ程広くない部屋は隣のアメリカ・フロリダから来たご夫婦と向かいには地元の親子連れ、前方席は最高にドレスアップした中国人?熟年女性4人連れ、右隣はヨーロッパ系の女性グループが一緒に食事していた。


お土産のセンス形
絵葉書

隣のアメリカ・フロリダからのご夫婦と片言英語で話が弾みとても楽しいひと時を過ごした。

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食事を終えゆっくり歩いてシュテファン寺院前の広場に戻って来ると、夜9時過ぎというのに空はまだ明るい茜色の夕暮れで、シュテファン寺院の尖塔が威風堂々とそびえ、昼とはまた違った情景。

2009.6.1(月)
ウィーン3日目
シェーンブルン宮殿
ウィーンの森

地下鉄U4号線


2009.6.1 晴れ ウィーン3日目
7:00起床恒例のラジオ体操して8:30朝食。 地下鉄U4線でシェーンブルン駅、簡素な駅で大宮殿最寄り駅という感じはしない。2階が出入り口になっている、下車した乗客はほぼ100%シェーンブルン宮殿に向かうようだ。


大通りの信号を渡ると例の演奏家の扮装をした若者が宮殿コンサートのチケットを懸命に売り込んでいるがほとんどの人は無視して宮殿に向かって歩いていく。その一行の後についていくと間もなく宮殿広場に出た。広大な広場には日本の団体が旗を立てた添乗員の周りにいくつものグループが輪を作っていた。あっちこっちから日本語が聞こえてきてほほえましく気持ちが和む。広場左側に沿って宮殿入口へ、特に興味もいので中に入らずイタリア人家族と記念写真を取り合って宮殿裏の庭園を見学する。


シェーンブルン駅に戻りU4線に乗りウィーンの森のあるハイリンゲンシュタットへ。路線工事中で1つ手前で運行が終わり駅前からバスに乗り換え3〜4つ目で下車




ベートーベン遺書の家


田園の楽想を得たウィーンの森『ベートーベンの小道』

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案内板にそって行くとベートーベンハウス(遺書の家)〜ベートーベンが2階に住んで『田園交響曲や第九』を書いたホイリゲ・マイヤー〜ベートーベンの散歩道など歩いた後マイヤーに入る。


ベートーベンが一時住んだマイヤーの家


ベートーベンはワイン好きでここに住んだのも好きなワインが飲めるのが理由だったようだ。料理はセルフサービスでウィンドーに並んだ中からチョイスして更に盛り付けてもらい自分でテーブルに運ぶシステム。ワインは沢山種類がありおまかせしてグラスでお願いする。


ホイリゲ・マイヤー
メニュー

ベートベンの数々の名曲が生れたマイヤー2階

天気も良くぶどう棚の下の席でベートーベンが住んだ2階の部屋など見ながら飲んだり食べたりは気持ちがいい。

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お腹いっぱいになったところでバス停に戻り電車駅でウィーン市内に戻る。


リンクを逆周りに歩いて市立公園へ。



市立公園モーツァルト像

市立公園からシュテファン寺院裏まで歩き、モーツアルトが3年暮らした家(フィガロハウス)を見る。リンクでトラムに乗って市内を夜景を見ながら一周するつもりで乗ったトラムは郊外行きでついでだからしばらく乗って知らない町で下車しウィーン郊外の古い町を見ながら帰りの電車を待って同じ路線でリンクに戻ってくる。



モーツァルトの旧住居(フィガロハウス)


昨日買ったアイスクリームがとても美味しかったので今日もそこでアイスを買いホテルに戻る。ウィーンとは今日でお別れ、ウィーンは今まで行ったヨーロッパの都市の中でも最上位に入る好きな街だ。

ハルシュタット プラハ
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